鬼才ジョージ・ミラー
マッドマックスシリーズの監督である鬼才ジョージ・ミラーについて、こちらでは触れていきたいと思います。
ジョージ・ミラーの経歴
ジョージ・ミラーはもともと医学を志していて大学に進学していました。ですが、もともと映画が好きだったジョージ・ミラーは趣味で映画を作っていました。大学時代に短編映画を作り上げてコンクールに出したところ優勝し、それ以降映画やテレビに携わるようになったそうです。
ちなみにジョージ・ミラーは大学を卒業し、医師の免許も持っています(専門は内科だそうです)。
『マッドマックス』を初めて作ったのは、短編をいくつか作成したあとでした。1979年にマッドマックスで一躍有名となり、地元オーストラリアでも異例のヒットを飛ばします。
マッドマックスに時おり医学的な知識が生かされた描写が出てくるのは、ジョージ・ミラーの医者としての側面によるものです。
マッドマックス作成以降は、テレビや映画のプロデューサーとなり、ときに脚本家として活躍しました。「トワイライト・ゾーン」の第4話を担当し、評価も受けています。
また、1983年にはスティーブン・スピルバーグの誘いを受けてハリウッドへと手を広げました。また、持ち前の医学知識を存分に奮ったのが、不治の病に侵された息子を助けるべく奮闘する夫婦の物語を描いたノンフィクション「ロレンツォのオイル 命の詩」ですね。こちらは家族の絆うんぬんではなく、余命を告げることしかしない医師や医学界に対する風刺や皮肉を含む内容となっていて、医師という下地がなければ思いつかなさそうな内容です。ノンフィクションですが感動を増大させるような構成にはなっておらず、その点で珍しい仕上がりだと思います。
また、弟のビル・ミラーとともに子ブタを主人公にした『ベイブ』を発表していますし、ペンギンによるミュージカルCGアニメ『ハッピーフィート』は受賞作品となるなど、数々のヒットを飛ばしています。そして2015年に待望のマッドマックスの続編『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を発表しました。
マッドマックスと日本の関係
マッドマックスシリーズが日本の作品に与えた影響は多大ですが、ジョージ・ミラー本人も日本の作品から影響を受けているようです。例えば、『怒りのデス・ロード』の制作にあたって、『アキラ』などの作品にも影響を受けた、と語ったとか。もっとも、マッドマックスに限らず『アキラ』の影響はとんでもないですけどね。
日本という言葉のわからない国の作品に影響を受けているからこそ、英語が読めない日本の観客にも楽しんでもらえるように作ったとも語っていて、「言葉はいらねえ」的な迫力と映像美が生まれたのかもしれません。