怒りのデス・ロードの本当の主人公は誰?

「マッドマックス」シリーズでは、1、2、そしてサンダードームという流れで”マックス”を中心に英雄像を模索していました。けれども、『怒りのデス・ロード』は、そういう観点ではある意味吹っ切れているようにも見えます。

少なくとも『怒りのデス・ロード』において、マックスは英雄ではないし、主人公ですらないのですから。

タイトルが真の主人公を示唆する

『怒りのデス・ロード』の原文は「Fury Road」単純に翻訳すると「怒りの道」ですが、Furyの語源となっているのは、復讐の女神フリアエ。フュリオサ(Furiosa)はラテン語で激情、情熱、憤怒という意味を持ち、やはり復讐の女神フリアエを語源に持っています。つまり、サブタイトルそのものがフュリオサのことを示しているのです。

英雄ではないマックス

アメリカの物語は、たぶんキリスト教も関係しているのでしょうけど、特に勧善懲悪ものが好まれる傾向があると思います。正義のヒーローが、善の心を持って悪を打ち倒す。いかにも分かりやすく、分かりやすいからこそ大衆の心を掴みます。

ただ、マックスって基本的に自分本位で、正義感はほとんどないし、何なら善人じゃないんですよね。これはシリーズ通してそうなんですけど、今作のマックスは他の作品と比べても明らかに「英雄」ではないんですよ。

例えば、彼は失った家族の幻覚を見ますけど、最終話でもそれを克服することはありません。台詞はとても少なく、無口でほとんど喋りませんし、命からがら逃げてきたら、タンクで水浴びをしている女たちを見つけて脅そうとします。フュリオサに協力するのも、渋々という感じで成り行きに過ぎません。

マックスの立ち位置は、「あくまでも厄介事に巻き込まれた人間」であって、変化も成長もしないのです。

イモータン・ジョーに反発し、正義に則って女たちを逃がそうとするのはフュリオサです。マックスではありません。イモータン・ジョーにとどめを刺すのもフュリオサです。

このシリーズは「英雄」を描いていて、そこは今作も踏襲しています。ただし、英雄はマックスではなく”怒れる女性”フュリオサなのです。

根本にあるのは、主軸となるストーリーがイモータン・ジョーの側にいる女たちが逃げ出し、反旗を翻すことで、そして女性戦士が英雄として君臨する。主人公はマックスではなくて「フュリオサ」という一人の英雄が、圧政に屈せず巨悪に立ち向かい、見事それを成し遂げるまでのストーリーであることが読み取れます。