マッドマックス1(1979年)
1979年にオーストラリアで公開された「マッドマックス」。作り込まれた世界観で繰り広げられる復讐劇、スタントマン死亡説を濃厚にするクラッシュシーンなどなど、見どころ満載の映画です。
すべてはここから始まった!
初代マッドマックスの舞台は、暴走族による凶悪事件が多発する近未来のオーストラリア。マッドマックスといえば”世紀末”というイメージがありますが、舞台は核戦争勃発前で、まだ人々の間に秩序があります。
主人公は、暴走族を相手にする特殊警察M.F.P.に所属するマックス。M.F.P.の専用車両・インターセプターを奪って逃走した暴走族ナイトライダーを追い詰めたマックスでしたが、ナイトライダーは運転操作を誤って死んでしまいます。
ナイトライダーの事故を聞きつけ、復讐のために仲間が町に現れます。危険を感じたマックスは対策を講じましたが、結果として親友グースを殺され、妻子も手にかけられ、マックス本人も怒りに燃えるのでした。
マックスは復讐を果たすため、インターセプターを無断で持ち出し、暴走族と激突します。
初代マッドマックスは、別のシリーズと比べてもシリアスな雰囲気でストーリー続く作品ですね。まあ怒りのデス・ロードなんかも別にギャグってわけではなく、真剣だからこそちょっとおもしろいって感じなんですけど。ただ、マッドマックスはただでさえ少なかった製作予算をほとんど車の改造に使っちゃったんですよね。だから、設営費なんかは結構カツカツだったらしいんですが、お金をかけないでもインパクトのある映像を撮りたい!っていう熱意がすごくて、じっくりと見返すと随所に散りばめられている工夫に気づきます。
日本市場とマッドマックスの関係
マッドマックスが生まれたのは1979年。70年代後半は、映画業界にとっても躍動の年でした。マッドマックスが日本上陸する数年前には「犬神家の一族」「人間の証明」「野生の証明」など、映画だけではなく原作小説や主題歌などがヒットを飛ばして話題をさらっていました。
マッドマックスもこのメディアミックス戦略に乗り、日本版の主題歌「Rolli’n Into The Night」が新たに作られ、日本では本編に挿入されました。このレコードもヒットを飛ばし、当時無名だったシンガーの名を知らしめました。コレ以外にもさまざまな手法で盛り上げたのです。むろん、この初代マッドマックスを語る上で話題に登る「撮影中に死亡」とか「本物の暴走族」といった、現代であれば法に触れかねないキャッチーな宣伝もそのときに生まれたわけです。
プロモーションの効果が絶大で、マッドマックスは無事(?)配収10億円という大ヒット作品になりました。映画好きだけではなくライダーの心も鷲掴みにして、熱烈に支持を受けたのです。